全部、嘘。

妄想と日常と噓

推しはかわいい。それだけ。

推しが語彙力を奪う。奪われっぱなし。こっちの語彙力を失わせる、それこそ推し。
最近考えていたのは、推しの外見について。どれくらい言ってもいいのか。
好きで推してる人が何人かいる。皆さん素敵な人ばかりだ。うっとりする。
でも、ここのところ外見についてアレコレ言うのは駄目という意見をよく見かける。
確かに、それは気にしたほうがいい。見た目について酷いこと言われて一生傷を背負う人もいる。
私なんて子どもの頃からデブ・ブスと毎日のように言われてきた。傷ついたし今でも「自分はブスだ」と思ってる。
でもだからって、私にそういう言葉を向けて来た人達に対して恨みなどはない。
だって私は私で「誰かに暴言をぶつけるその心が醜いよなぁ」と思ってたから、お相子だ。
で、推し。推しは可愛い。誰にとっても推しは可愛くてたまらない存在だ。
あくまでも個人的な見解だけど、芸能という仕事をしてテレビやネットに出ている以上は、見た目も売りの一つだと思う。
それに対しては、美しいキレイかわいいキュートだファニーだという言葉は自由に言ってもいいように思う。
もっと中身を見ろという意見もあるけど、こっちに見せてくれてるのって、ほんの一部分だけ。
その一部から何かを判断するのは難しいし、いい面しか出してないわけだし。
私は藤井風さんが大好きだ。彼の音楽を心の底から素晴らしいと思うし最高だと言い切る。
同時に、彼は外見も美しい。とてもキュートだし別嬪さんやなぁと惚れ惚れする。
私は田中圭さんも大好きだ。可愛さと色気が同居してて、とても惹き付けられる。そして演技も素晴らしい。
見取り図の盛山さん、バナナマンの設楽さん、アルコ&ピースの平子さん。3人とも凄く色っぽくて好き。
世の中には、凄く美しいのにそれがコンプレックスだという人もいる。そういう人には見た目について言わないほうがいいというのは分かる。
でも推し本人が「そういう目で見ないでほしい、そういうふうに言わないでほしい」と意思表示してない限り、褒め称えてもいいのでは。
でもやっぱり「それは駄目」という考えの人もいるだろうけど。それはもう仕方ない。
こういうのって、どれだけ議論したところで平行線だから、お互いが快適だと思える場で推しを楽しめばいいだけだ。
お互いを干渉せず、相手のことを「間違ってる、おかしい」と責めることもなく。
推しへの「好き」は、みんな違う。自分と合う人と楽しめれば、それでいい。