全部、嘘。

妄想と日常と噓

secret things

いい天気。こんな朝は、散歩するに限る。急いで起きて着替えてから外へ出た。
心地良い空気。春の匂い。
「…あれ」
こんな素敵な家、あったっけ。今まで、こっち方面はあまり来てなかったけど。聞いたことないな…。
気になって近づくと、庭に水を撒く音がした。覗くなんて行儀悪いかな…。
「あら。おはようございます」
「あ、おはようございます…ごめんなさい失礼しました」
「いいのよ、お気になさらず。良かったら、こちらへいらっしゃる?チューリップが綺麗に咲きましたの」
「はぁ…じゃあ少しだけ」
何だか畏まった話し方をする人だ。もしかしたら、すごいお嬢様なのかも。
「この近所にお住まいなの?」
「はい、すぐそこの。あの…美しいです、ね」
「でしょう。今年のチューリップは特に色がよく出てくれたわ」
いえ、花じゃなくて貴女が。と言おうとして止めた。軽い人間だと思われるのもイヤだし。
でも。本当に美しい人だ。体重を感じさせないというか。向こう側が透けて見えそうな。
「そうだわ、このチューリップ。プレゼントします」
「え?でも、せっかくこんなに咲いてるのに、勿体無いですよ」
「いいのよ。私そろそろ行かなきゃ駄目なの。しばらくここへは来ないから」
そう言って、数本を切って新聞紙で包んでくれた。
「ごめんなさい、ちゃんとした包装紙じゃなくて」
「いえ。すみません、ありがとうございます。ちゃんと飾ります」
「少しでも長く楽しんでちょうだいね。では、いつかまた。お元気で」
「はい。貴女も」
何度も頭を下げてから辞した。朝から素敵な時間を過ごせたなぁ。どこに飾ろう。うちに花瓶あったっけ。
それにしても。チューリップって、こんなに甘い匂いだったかな。顔を近づけて嗅ぐ。その時、何気なく新聞の文字を見てハッとした。
「…昭和二十年…?」
どうしてそんな古い新聞が。しかも全く汚れてもないし。少し胸がざわついて、踵を返した。まさかそんなこと。
「…ああ…」
やっぱり。そういえば今日はお彼岸だ。だから、あの人は帰ってきてたんだ。

ついさっきまで美しい花を咲かせていた庭。跡形もない。
自分の腕の中にあったチューリップも。微かな残り香だけ。
「いつか、また…」
貴女に逢いたいです。

美しい人。